似て非なる。楽をする事と便利な事

自粛解禁後、また感染者が増えたり、大雨が降って被害が出たりと大忙しな地球ですが皆さんお変わりないでしょうか?

僕は地球で起きてる事は全部リンクしてんだろうなぁと思っております。

それも理屈じゃなく感覚的なことですが

人間の体の不調が全てつながっているように、地球という大きな生命体の異常は、その上で誕生した人類にも、自然環境にも繋がっていて当たり前なのかなぁと。

デジタルで生きる時代、そう言う感覚的(アナログ)な部分がどんどんと”鈍化”していってるなぁともつくづく感じます。

実際に、そう言う感覚的な話になると

『科学的な根拠がない』と言う短絡的な答えしか出さない”お偉いさんが作る”世の中の現状もあります。

色んな意味でデジタル化は加速していくなぁと肌で感じる日々です。

僕個人のお話ですが、

お店をやるまでFacebook、Twitter、Instagramはやった事がありませんでした。

見る為のアカウントすら持っておらず、古い話をすればmixiとかですらやって無かったなぁと笑

(知らない若い世代はwikiって下さい)

それが今、お店をやり出して

発信のためのSNSを持つと、

そればかりになってしまった自分がいて、

最初は『便利だなぁ』と良かれと思いやり出した事も、日々の業務に追われている内に、『パソコン開いてブログやホームページ を更新するのが面倒だ』と、徐々に徐々に『楽をする為』のInstagramはじめ、SNSの発信になってきているなぁと、少し危機を感じ出しました。

“決してInstagramやSNSが悪いと言うわけではないけど”

SNS毎に長所があって、Instagramは表面的なビジュアル的な物の発信しか向いていないなぁと感じます。

いわゆる『写真集』とか『カタログ』を見ているような感覚。

その対象の、雰囲気や世界観を伝える物で、見終わった後に残るのは『可愛かったなぁ』とか『カッコよかったなぁ』と言う表面情報だけになりがち。

勿論、写真家さんとかデザイナーさんとか、平面作品だけでココロの奥底にズドンと刺さる作品を作る方もおりますが、今はそれは例外でお願いします。

なので

『映え』が流行ったのもInstagramの性質からすると至極当然の流れなんだと思います。

カッコ良くてナンボ、映えてナンボなんだと。

それが日常化すると

受信側はそこに隠れる本質を見抜く力が衰えたり

また発信側は本質を発信する事を怠ったり

『あぁ、自分いま楽をしてしまっているなぁ』

と気付かされたんです。

結局は、想いを発信する事も、それを受け取る事も『すごくカロリーを消費する』

物事のサイクルがとても速くなってしまった現代にはSNSの発信の方が断然向いている。

今となっては、どちらが起因かはわかりませんが、サイクルが速い→SNSで発信→また消費され、、、のループになっているんだと思います。

なんとなく、最近のSNSは『回数をこなすだけの筋トレ』になりがちで、これじゃやっても意味無いなと思い始めています。

そんな中、偶ぁに『ここのInstagramは内容をきちんと読みたくなる』と言ってくださる方が居ると、”嬉しいなぁ”と言う気持ちと、”襟を正さないと”と言う二つの気持ちが現れます。

そうやって、自分の立ち位置をいつも気付かせてくれるのは、信頼できるお客さんや作家たちです。

うちの使命は『物プラス想い』を伝える存在なんだなぁと改めて。

前回の個展の時に陶芸家 鈴木隆さんに言われた一言『こうやって長くご一緒してようやくわかりました。菊地さんは所謂ギャラリストじゃ無い、”ミュージシャンやアーティスト”なんですね。』と。

ミュージシャンも色んなタイプがいると思いますが、商業的な流行や広告を纏ったPOPSではなく、その人のリアルなライフスタイルや想いを込めたROCKやHIPHOPを求められてるんだなと。

つくづく、楽は出来ないな、、、汗

と感じながら、自分の使命を粛々と受け止め、ゴールの見えないブログを書き始めたわけです。

気がつけば、一行目を書き出してから一週間くらい経っており、その間にも世の中は変わり、動き続け、僕の心境にも変化が出て、加筆加筆で、すでに書き出した頃の想いとはまた枝分かれしておりますが、これもまたスプリント的SNSでは起きない現象。

(更に展示などで3週間ほど経ちました)

一つの事柄に長距離で向かい合うと、色んな思いが交差します。そして、思っていたより、自分が矛盾していることや、目紛しく変わっていく世の中に気づき、でも結局出る答えの鞘は同じだったりと。

このブログを長い期間書いていて思ったのは、いつ何が起こるか本当に分からない時代だなと。

それは災害という意味でもあるし、人間の作る未来という意味でもある。

いつ地震や天候災害で滅びるかも分からないし、信頼しきっていたものが突如崩れる事もある。

逆に、人間の発明や発見で不治の病が治ったり、信じられないほど豊かな社会になるかもしれないし、また戦争が起きて滅びるかもしれない。

その辺りの”危機察知能力”はデジタル社会では分かんないだろうなぁと思います。

こんな時代だからこそ、動物的な感覚を研ぎ澄ませて、どこに行きたいのか、何が心地よいのかを自分に問いたい。

命懸けで狩りに出る前の部族の心境や、海に出る漁師たちの風を読む力を身に付けられたらなぁと思う今日この頃。

書けば書くほどに、また書きたい事も思い付き長くなるので今回はここまで。

続きはまた時間のある時に。

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